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2018年1月23日火曜日

【普通の歴史】はじめに 武田邦彦【歴史・倫理・日本】

歴史について、いろいろな見方が必要ですね。


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2017年11月27日月曜日

「家族の健康」のために(3) 腎臓がちょっと悪いと透析になる

腎臓がちょっと悪いだけで、透析になっているケースは多いですね。


先回は「家庭で行う病気になる危険性のある行為」ということで「減塩食」(減塩食が危険という意味)を取り上げましたが、今回は「病院に行くと病気になる」という例を紹介します。
この一年、忙しい毎日が続き、少しずつ具合が悪くなってきた。最近、どうも尿の出が悪いので心配になり病院に行くと、「腎臓がかなり痛んでますね」と言われる。尿検査の結果も思わしくない。
現代の医療では、腎臓が痛んでいるときに、「仕事を休ませる」とか「腎臓の機能を回復させる」という治療はしない。それは患者側にも問題があり、「仕事を休んで少しゆっくりして様子を見ましょう」などと「正しい治療」をすると、「あの医者はヤブだ。仕事を休むぐらいなら医者に行かないよ」と言われてしまう。
そこで、対症療法しかしない。普通なら利尿剤(尿の出がわるいから)と血圧降下剤を処方する。とりあえず、腎臓が痛んでいるので、腎臓に行く血流を減らし(血圧を降下させ)、利尿剤で尿が出るようにするということだ。
ところが、本当の原因は厳しい仕事と疲れで腎臓からSOSが出ている状態だから、むしろ血圧をあげて血行を良くし、体をゆっくり休めて腎臓の回復を待つという本筋がある。それと反対の薬がでる。
腎臓は休養と血流を求めているのに正反対になり、1ヶ月ほど薬を飲むと、完全に腎臓が痛んでしまい、回復の可能性すらなくなる。そこで「人工透析しましょう」ということになり、さらに腎臓を動かさなくなる。
透析というのは本当に大変なことで、患者さんは仕事を休み、普段の生活もままならなくなり、お金もかかる。ちょっと休んで血行をよくすればすんだのに、正反対の方向になってしまう。
表紙のグラフは日本の透析患者さんの数だが、1970年頃から透析が始まり、最初のころは「透析待ち」の患者さんが多かったが、それが終わって現在では純粋に新しい患者さんがでるから透析が増えるという状態です。透析患者の平均年齢は65歳ぐらいで平均寿命が延びたから透析患者が激増しているというわけではありません。
「腎臓の医療が進んだのに、透析患者が増える」というのはどういうことでしょうか?
透析患者数が10万人を超えたのが1990年ぐらいですが、それから25年間、腎臓医療は進歩しなかったのでしょうか? それとも生活環境、食事などで腎臓患者が増える要因があったのでしょうか? 
腎臓の具合が悪く医師のところにいった、その医師が良いか悪いかで人生が大きく変わるような状態です。良い医師なら緊急の必要性がなければ、ゆっくり休養したりして腎臓の回復を待つとか、血の循環をよくして腎臓を通過する血流量を増やすとか自然の回復を待つことをアドバイスしてくれるでしょう。
悪い医師のところに行くと、尿の出が悪いとか尿検査の結果から利尿剤や血圧降下剤などを処方されます。そうすると、尿はでるのですが腎臓の機能が悪いのに尿を出そうとするので、腎臓はより悪くなります。また腎臓が血液を必要とすると造血を促して腎性高血圧などを引き起こすのに、さらに降圧剤を投与するとさらに悪化させることになります。
その結果、緩く回復させれば治ったものが、1ヶ月ぐらいの「治療」で悪化し、ついに人工透析をすることになり、いったん人工透析をするとさらに腎臓の自立機能が落ちるので、一生、透析をするというケースもあるようです。
腎臓は急性の場合もあるので、素人で判断するのは危険で、医師に相談する必要があり、それは必須ですが、その時に、「かなり無理をしたので、少し休養すれば回復しますか?」と聞くことが大切です。
(出典:Youtube 武田邦彦

2016年1月14日木曜日

武田邦彦『現代のコペルニクス』#84「日本人の新しい人生」



2016/01/11 にライブ配信
武田教授の人気レギュラー番組を収録現場から生放送!
今回のテーマは、

 「方向を失った日本人の人生 」

です。
昨今の世界情勢や日本の社会、もやもやして不安になってしまうようなことがたくさん有ります。

今後、日本人はどうしたら幸せな人生を送ることが可能でしょうか。
武田­先生がバッシングを恐れず、コペルニクスな視点で「新しい日本人のための新しい人生」を考えます。

★武田邦彦 プロフィール
 工学博士・中部大学教授。1943年生まれ。
 レギュラー番組「現代のコペルニクス」を監修・出演中。


2015年10月3日土曜日

健康を知る(13) コレステロールの制限値は「死亡させるため」えっï





健康を知る(13) 
コレステロールの制限値は「死亡させるため」えっï


減塩食や植物油など、この30年間ぐらいテレビで「健康に良い」と言われてきた物が実は健康に関係がないか、あるいは毒物と言っても良いほど問題があることが次々と指摘されています。

その中でも特に「メタボ騒動=厚労省が「メタボ」を突然、発表した時」の規制値ほど害となるものはありませんでした。少し厳しく言えば「犯罪」で、厚労省が発表した規制値を守って亡くなったことを証明できれば、故意の殺人罪も適応できるのではないかと思うほどです。

表紙に示しましたが、厚労省が示した総コレステロールの制限値は、140から199でした。しかし、その横(右側)に示したグラフは、コレステロールが200以下では死亡確率が高くなること、特に180以下では死亡確率(ガンや血管障害が主)が2倍以上になっています。

これは臨床のデータですから、現実にコレステロールを厚労省の制限を守ったことが原因となってガンで死亡した人が相当数いることを示しています。その方やご家族の方の気持ちになってもらいたいと思うのです。「お役所の言うことが正しい」と信じてコレステロールを下げようとし、その結果、ガンで亡くなった訳ですから、これを殺人と言わなくてなんといったら良いのでしょうか?

また厚労省の尻馬にのってテレビで放映したNHKや民放、そして新聞で「健康特集・・・コレステロールを減らそう」などと書いた記者はその理由を釈明しなければならないでしょう。マスコミは「政府が言ったから」ではダメで、むしろ政府の言うことに疑いを持って国民側で報道するために存在するのです。

このようになった原因は、このブログでも指摘しているように、第一に「縦割り医療」・・この場合は、コレステロールを200以下にすれば心臓疾患が減るので、心臓関係の医師が「ガンになっても俺の専門ではない」ということで200以下にしたのです。

また第二には、「医師は人の健康を守ることはできない」と言うことを国民が知らなかったということです。医師は「病人を治療する」ことにはたけていますが、病院には健康な人は行かないので、健康を維持すると言うことについてはほとんど経験がないということです。

でも、これほど酷いことが厚労省は学会の名前で行われ、NHKがそれを拡散していたということはよくよく考えなければならないことでしょう。

(平成27年9月22日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ


2015年9月20日日曜日

温かい人生 その12 人には「取り柄」があるのか?




温かい人生 その12 
人には「取り柄」があるのか?


先回、子供を教育するときに、数学から音楽までまんべんなくできるようにさせず、数学の好きな子供は数学、バレーボールの好きな子はバレーという教育にした方が相互に比較をすることもなく、子供は好きなことを勉強できるので良いという私の考えを書きました。

それとは矛盾するのですが、良く、「人間はなにかの取り柄があるから、頑張れ」と言われることがありますが、はたして人間には取り柄があるのでしょうか?

一体全体、「取り柄」というのはどういうことを言っているのでしょうか? 普通は「人より優れている」というようなことのようです。たとえば、「彼は勉強は苦手だが、運動は得意だ。特に短距離は彼の取り柄だ」というと、勉強は「人よりおとっている」が、運動は「人より優れている」ということを暗に意味しています。

しかし、「人より優れる」ということが良いことなのでしょうか? このようなことを耳にすると私は「人は他人と比較することによって価値が生まれるのか?」と疑問になります。 

たとえば女性の方で子供を産み、一所懸命育てることができれば、それでとても立派な人生で、下手にスポーツ万能で東大を出て人の上に立ち、自分だけは豊かな生活をしている人に比べれば、その女性の人生はとても素晴らしく立派であることは間違いありません。

人間も他の生物も同じですが、毎日、楽しく生活ができればそれが最高で、なにもその人が誰かと比較して優れているかどうかなど全く関係もありません。

一度、フィンランドの大使館との関係があり、その時にフィンランドの人が「フィンランドの大学では合格や不合格、成績順などはありません。卒業したら森に入り他人との関係があまりありませんから、比較すること自体が無意味なのです」と言われたことが忘れられません。

そして、「人と比較しないと人間は頑張らないと思うかも知れませんが、オリンピックの選手、ノーベル賞、作家などを比較しても人口比で日本とフィンランドと同じぐらいか、フィンランドの方が多いぐらいです。人間は人と比較しなくても才能があれば開花するし、才能が無くても同じなのです」と言われました。

「取り柄」というのは「楽しく毎日を生きることができるか」ぐらいはありますが、その他の取り柄などはないし、「人より優れている」というのはそれ自体が欠点ではないかと私は思うのです。

でも、多くの若者が小学校から高等学校にかけて「取り柄はなに?」、「あなたの長所は?」と聞かれ続けて、「自分には取り柄がない」とションボリしている人を見かけます。そんな時、「取り柄なんか無いに決まっているじゃないか」と言うと、それだけで顔が輝いてくる学生も実際にはいます。

私は最近、テニスを始めました。本当は走るとか歩くということでも運動ができるのですが、私は男性でもあるので闘争心があり、テニスをうまくなりたいとか、勝負に勝ちたいという無意味な衝動があり、それを利用して体を鍛えたり、楽しみにしたりしています。

テニスをするということは私の人生を豊かにする「道具」であり、決して「目的」ではありません。まして人に勝つなどはつまらないことなのですが、私の心に闘争心がある限り、それを利用することはできます。でも、「利用」しているだけで、その結果が私の人生に影響があるわけでもないのです。それは私がテニスのプロであってもそうで、テニスをすることですでに目的は達成されていて、勝つとか負けるというのはおまけのようなものです。

「他人と比較しなければならない」という強固な日本人の信念は小さい国にひしめき合って住むようになった明治以来のことで、わずか170年ほど前までは日本にも特殊な人以外はなかったことだったのです。

(平成27年9月20日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年9月8日火曜日

温かい人生 その6 私たちの人生を幸福にするために



温かい人生 その6 
私たちの人生を幸福にするために


このシリーズの最初にすこし触れたのですが、日本は所得、長寿、医療、安全、水、気候などどれをとってもほぼ世界一と言えます。そんな環境のもとで一生を送っているのに日本人には幸福感はありません。それどころか世界でもっとも「満足できない毎日」を送っているという驚くべき事実があります。

その理由は「幻想」で、その幻想の多くが「マスコミ、専門家、進歩的知識人、政府、官僚、一部の運動家」などが作り出しています。人間は大脳支配動物なので、頭が洗脳されると事実さえも打ち消されてしまうのです。ここまで「正しい」、「健康・・・日光浴の問題」、「私たちの歴史観」、「男女の問題」などに触れてきました。まだ「環境の脅し」や「教育、出世など」がありますが、かなりの反論があります。

反論すること自体が自分で考えるということですから、人生を幸福にしますが、ややマスコミの言っている通りに信じているという方が多いのでちょっと感想を書きました。

(平成27年9月8日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ




2015年8月27日木曜日

温かい人生 その3 自分が正しいと思っている



温かい人生 その3
 自分が正しいと思っている


かつての日本人が満足した人生、豊かな生活を送っていたのに対して、現在の日本人は物質的には飛躍的に「幸福になれる環境」にいるのに世界でもっとも「不幸だ」と思っているという驚くべき現状を先回に示しました。

この錯覚が生じたのには原因があるのは当然です。それを一つ一つ整理していくことで、この素晴らしい環境の中で、安心して満足した生活をすることができるようにしなければ何のために日本人として生まれてきたかも分からなくなります。

原因の第一に「自分が正しいと思う」という現代の日本人のクセを示します。

学生がケンカしているのを見ると、一方の学生は「俺は正しい。おまえは間違っている」と叫んでいて、相手の学生は「俺の方が正しい。おまえが間違っている」と言っています。

そこで、一方の学生に「なんで君が正しいことがわかるの?」と聞くと、聞かれたことが分からずにポカンとしている。そこで「だって、自分が正しいって主張しているのだから、なぜ正しいか理由を言わないと」と言うと、しばらく考えていて「僕が正しいと思います」と言う。

私が「君が正しいと思っているだけなら、相手だって自分が正しいと思っているはずだよ。だから理由の説明になっていない」というと、学生は困ってしまいます。つまり、彼は「自分の考えが正しい」と激高しているのに、「正しい根拠」を示すことができないのです。

「自分が正しいと考えていることが正しい」ということになると、人によって考えが違いますから日本には人口分だけ、つまり1億2000万ヶの「正しさ」があることになります。

そこでダメを押すために「たとえばお釈迦様に聞いてみるとかした?」と聞くと、さらに学生は困ります。お釈迦様はすでに2600年ほど前にお亡くなりになっているから「議論していることが正しいかどうか」を聞く人がいない・・・だから自分が正しいと判断すると、それが正しいと錯覚することになるのです。

この話で分かるように「正しい」というのは人によって違いますが、異民族が混合して生活をしている大陸では「人によって正しいことは違う」ということを認めていますので、主語や目的語がはっきりして言う言語を使い、価値の多様性を認めるという文化ができました。

これに対して日本は1万年前からほんの最近(150年前まで、つまり日本人が集団で過ごした期間の98.5%)まで「曖昧な言語、暗黙の空気、一つの価値」の中で過ごしてきたのに、開国しかつグローバリゼーションがさらに進む中で、この伝統的な文化だけはまだ残っているということです。

「人は人」であり、「違いこそが人生を豊かにする」と言う意識がはっきりできれば、まず第一にケンカがなくなり、第二に不愉快なことが少なくなり(自分の考えと違うことが行われている時に、それは相手としては正しいと思ってやっているのだなと思う)、辛い生活のかなりの部分が解消します。少なくとも「怒りっぽい」と言うことがなくなり、「他人の言うことが理解できる(同意ではない)」ようになり、楽しく毎日が過ぎていくからです。

(平成27年8月26日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ


2015年8月26日水曜日

温かい人生 その2 欲深くなった私たち




温かい人生 その2
 欲深くなった私たち


「辛くないのに辛い人生」になるのはなぜでしょうか? 今日の話題はその1です。

19世紀のはじめ、今から200年ほど前のことですが、ヨーロッパの白人は力があまって世界中に軍隊を送り、次々と有色人種の国を侵略して植民地にしていました。

しかし、日本は「東のはずれ=極東」にあってなかなかそこまでは到達しませんでした。そしていよいよ幕末に鎖国が解け、白人の人たちが日本に来てみるとビックリ仰天したのです。当時の記録をちょっと見てみます。

「彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。これがおそらく国民の本当の幸福の姿と言うものだろう。私は、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たして日本人の幸福を増やすことになるかどうか疑わしく思う。

質素と正直があれば黄金時代を築けるとしたら、どの国よりも日本がその典型的な社会だろう。生命と財産の安全、人々の質素と満足は、現在(幕末)の日本のはっきりした姿であるように思われる」

当時の日本は、安全な社会で生命と財産が保証されていて、その中で「質素」を「満足」としていたので、日本人はみんな幸福そうだったと言っているのです。

さて、表紙のほとんど見えないほどの小さな字で書かれているグラフをザッと見てもらいたいと思います。このグラフは、一日が終わる時に「今日は良い日だった」と思った人の割合を青い棒グラフで示しています。

グラフの上の方、つまり「今日は良い日だった」というのが多い国は、アフリカや南アメリカの国がほとんどで、先進国ではアメリカが13番目、イギリスが22番目です。

そして目をグラフの下の方に移してもらうと、極端に「良かった」という人が少ない国があります。つまり最下位の国、それがなんと日本なのです。この調査によれば「今日は良かった」と思う人がたった8%!!?? その一つ上が残念ながら韓国で9%。これほど不満持ちな国が隣り合わせになっているのですから、歴史認識も問題になるはずです。

つまり、日本は気候が良く、山紫水明、四季折々の自然に囲まれて命の危険を感じることもありません。その上、治安は素晴らしく(世界で10万人あたりの殺人件数が0.6人と世界最低)、女性でも夜一人で歩ける珍しい社会です。それに、所得、寿命など生命財産に関係するものも世界のトップですから、素晴らしいのです。

そしてかつての日本人はそれで満足して「不満なし」だったのですが、今の日本人は不満だらけということです。江戸時代と比較しますと、現在の日本は、所得、生活レベル、健康、寿命などあらゆる点で「幸福に生きることができる環境」にいます。それでも世界で最も不満の多い民族ということになるのです。

つまり、日本人の不満は「事実」ではなく「作られたもの」、「幻想」であることが分かります。

(平成27年8月23日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年8月24日月曜日

温かい人生 その1 人生はそんなに辛いことはありません




温かい人生 その1 
 人生はそんなに辛いことはありません


人生は辛いことが多いと言われますが、実は人生はそんなに辛くないものです。でも、「辛くないのに辛い」のはなぜでしょうか? 二つの話を紹介することから始めたいと思います。

「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。

……漁師のむすめ達が臑(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。

子供らは泡立つ白波に立ち向かって戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。

暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」

この文章を見て私は「ああ、幸福そうだな」と思ったのですが、女性の友人は「こんな役割分担の話は聞きたくないっ!」とイヤな顔をしていました。まあ、江戸時代に話だからと言って納得してもらいましたが、この女性が言ったことに中に「辛くないけれど辛い」という現代の日本人のこころがあるようです。

・・・・・・

イエス・キリストという人はキリスト教の人は神様と信じていますが、私は神様か人間か分かりませんが、もし人間としてもこれまでこの世に生まれた人間の中でもっとも偉かった人だと思います。聖書を読むと「こんなに素晴らしいことに良く気がついたものだ」と思いますが、それこそが神様なのかも知れません。

イエスは「野バラは楽しく野に咲き、ヒバリは大空でさえずっている。あなたは何を悩んでいるのだ」という意味のことを言われています。私たちは神様(自然)から命を授かり、それがたまたま人間であったということで人生を送っています。

自分が生まれる時に、人間として生まれるか、イヌとかブタにとしてかは自分が決められることではありません。神様か自然が決めてくれたことです。もしブタに生まれていたら一年も経たないうちに殺されて肉になっているでしょう。

人間で早く殺されてなにかの生物の餌になるのに耐えられる人はいるでしょうか?そう考えると私は人間よりブタの方が偉いのではないかと思うことすらあります。

そして、さらに偶然に多くの人は戦争の終わったあとの日本に生まれ、平和な社会、経済発展する時代に生きてきました。平均寿命は43歳から80歳を超えるまでになり、所得も世界でトップクラスです。

まさに、安全でお金持ち、健康で寿命は長いという国に偶然に生を得たのですから不満はないはずなのに、なぜか幸福感がない人が多いのです。なぜでしょうか?それを少しずつ考えていきたいと思っています。

(平成27年8月22日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年6月19日金曜日

人生の錯覚(1) 休みの方が良い?




人生というのは錯覚が多いものです。

学校が休みになるとむやみにうれしいものです。仕事で会社にいるより家に帰った方が得になった気持ちになります。

学生で勉強しなくても試験が白紙でも、単位がもらえるならその方が良いと考えがちです。

どんな人生が幸福なのでしょうか?

(平成27年3月27日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年5月26日火曜日

コレステロール・ショック(1) 間違いのもとはどこにあったか?



動脈硬化学会と厚労省が「コレステロールと食事は関係がない」と発表したのは、日本国民の健康にものすごい影響のある、巨大な事件です。国民の多く、特に年配者では「コレステロールは注意しなければならない。油っぽいものを食べてはいけない」と思っている人も多いし、「脂肪の少ない料理」が「ヘルシー」と呼ばれています。

エッ!一体、なに?? 本当?!とビックリするようなことですが、テレビも新聞もさっぱり報道したり、特集番組をする気配はありません。これまで50年間にわたり、ウソをついてきたのですから、自分たちの体面を考えて、金縛りにあっています。

でも健康は国民のものですから、マスコミはいっこくも早く報道して、これまでのことを訂正しなければならないのですが、さすがにこれほどのウソが長く続いたものは訂正が難しいでしょうから、このブログで少し詳しく解説します。

もともと「コレステロールは危険だ」という話自体があやふやだったのです。その理由は、

1) 戦争前の医療では医師は病気に対して「故障を直す」といういわば修理工だった。

2) 健康に悪いものを病気になる前に注意するという「健康医療」はほとんど知られていなかった。その前段階の「予防医学」が少しあったぐらい。

3) 最初のデータは誰が見ても杜撰なウサギのデータと、極端にコレステロールが多い北ヨーロッパの患者のデータだった。

4) もともと日本食には「油」というのはそれほど多くなく、特に庶民のおかずは「焼き魚、煮物、おひたし、味噌汁」の時代だった。

ところが「肉や卵からコレステロール」という「耳慣れないが覚えやすい」言葉が受けて、「俺はコレステロールというものを知っているんだぞ。偉いだろう」ということで一種のはやりになったのです。

それは1950年代の終わり頃で、朝鮮戦争が終わり、平均寿命は男65,女70で、今より15年ほど若くして死んでいた時代ですから、雰囲気もかなり違い、また、そろそろ多くの人が健康というものにも注意を払い出した時期にも重なっていたのです。

つまり、戦争が終わって命や健康に興味がわき、食事が欧米化していくなかで、「肉や卵は危険だ、注意する必要がある」と言うことになったのですから、飛びつくのも無理はなかったのです。私も今、当時の我が家に「コレステロール」という会話が入ってきた時を想い出すことすらできます。

もちろん、医師や栄養専門家の方にも問題がありました。それまで病気の治療というのが主務で、病気を未然に防ぐなどという研究も初歩、経験も無かった時代ですから、少しは謙虚でなければならなかったのですが、傲慢で断定的でした。

でも、最初の失敗は良いとして、今から30年ほど前、1980年代になるとコレステロールが危険だというのはおかしいという研究が出始めていました。でも、それをつぶしたのも、医師であり、マスコミでした。それまであまりに一方方向の報道だけが行われていたので、「食品と体内コレステロールは違う」というような意見は「変人」と見なされて、テレビにはでず、「皆と違う」ということで無視されたのです。

(平成27年5月21日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ




2015年5月10日日曜日

健康を知る006 頭脳と利己主義がなければ



「健康を知る」も第6回になり、時には少し深い話もしてみたいと思います。

動物の世界を見ると、人間と大きく違うところがあります。それは「医療や栄養学が無くても健康で、自分の死期を知って逍遙として死に臨む」ということと、「集団に寄与できなくなると命を終わる」ということの二つです。また人間に飼育された動物は野生の動物と違って、独特の病気にかかります。「鳥インフルエンザ」がその例の一つで、野鳥は原則として発症しません。「家禽病」、つまり「人間に飼われること」が病気の元になるという病気が多いのです。

つまり、健康を害し、寿命が短くなるのは、

1) 知識があるから、

2) ストレスがあるから、

3) 利己主義だから、

4) 調理しすぎだから、

と考えられます。

最後の4)ですが、これが家禽病の原因かも知れません。また3)は動物界で共通のことで、「寿命を決める健康状態」とは「個別の動物の健康状態」ではなく、「集団に寄与しているか」がその前提になります。

哺乳動物では閉経後のメスやはぐれオスの寿命が極端に短いのは「集団で貢献できない個体は健康でも死ぬ」ということを示しています。幸い、人間の社会は複雑なので、いろいろなことで「社会貢献」ができます。女性の場合は主としてお世話が有効で、男性では社会の役に立つことと考えられています。

人間、特にヨーロッパ文化は「個人が良ければ良い」ということですが、これは浅薄な考えで、人間を含めた多くの哺乳動物はそんなに簡単な運命を持っているわけではなく、「個人より集団に貢献するほど長生き」というのが普遍的な原則のようです。

この際、「自分の健康」より「社会に貢献する」ことに重点を置く「健康法」を編み出すのが良いと思います。

(平成27年4月29日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



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