ラベル 神との対話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 神との対話 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年8月5日水曜日

エックハルトに個人セッションを受けるニール・ドナルド・ウォルシュ



ニール・ドナルド・ウォルシュ
ニール・ドナルド・ウォルシュ(Neale Donald Walsch、1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の著作家。『神との対話』シリーズの著者である。

ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。ローマ・カトリックの家で、精神世界の探索を奨励する家族のもとに育てられる。

1992年に始まった、神との口述筆記形式の対話をまとめたという『神との対話』がベストセラーとなり、27ヵ国で翻訳され、以後シリーズ化されている。

これらの本はチャネリングによるものではなく、神からインスパイアを受けていて、現代的なアプローチで神への接触を計ろうとする人々への手助けになる、とウォルシュは述べている。

現在は、妻とオレゴン州南部の森の多い静かな地域で暮らしている。
(出典:ウィキペディア)


神との対話
宇宙をみつける自分をみつける 
(サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ) 文庫 – 2002/4
ニール・ドナルド ウォルシュ  (著), Neale Donald Walsch (原著), 吉田 利子 (翻訳)
中古価格
¥86から
(2015/8/5 19:46時点)




2014年11月23日日曜日

ニール・ドナルド・ウォルシュ~「必要の幻想」と「恐れ」について



もし今、何かの不安や恐れを感じているならば、このニール・ドナルド・ウォルシュの言われていることについて、よく考えてみることをオススメします。






2014年3月31日月曜日

神さまは「NO」と言わない。見かけで判断してはいけない。

神さまは「NO」と言わない。
現実を創る思考の仕組み 

ニール・ドナルド・ウォルシュ(1943年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の著作家。
『神との対話』シリーズの著者。 ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。

ローマカトリックの家で、精神世界の探索を奨励する家族のもとで育てられる。

1992年に始まった神との口述筆記形式の対話をまとめたという『神との対話』がベストセラーとなり、27ヵ国で翻訳され、以後シリーズ化されている。(出典:ウィキペディア)




この動画を視聴すると、最後に「見かけで判断してはいけない」のです。
という言葉が出てきます。 

それまでの話の流れと少しかけ離れており理解できなかったので、少し調べてみました。

「見かけで判断してはいけない」とは? 

外見で人を判断することは、しばしば大きな失敗の原因となります。

しかし実際に私たちは第1印象によってその人に対する見方を大きく左右されてしまうのも事実です。 

ある人の調べでは、初対面の人からの悪い印象でその人に対する見方を決めるのには10秒もかからないそうです。 

その人の外見、声の調子、握手の仕方、物の考え方などが自分とは違うと、つい「この人のことは好きになれない」と決め付けてしまうものです。 

『好み』というものは誰にでもありますから、すべての人のことを「好き」になる必要はありませんが、それらの人々を「愛する」ことは可能です。

人間というものは『外見』や『能力』以上の存在です。 

たとえその人の顔かたちや体格、立ち振る舞いが気に入らなくても、「この人は偉大な神によって造られた傑作品である」ということに気付くなら、愛することは可能になります。 

もし私たちが「神様、私はどうしてもあの人のことが好きになれません。

でも、あなたが彼をご覧になっているように、私も見ることができるように助けてください!」 と祈りつつ、大胆にアプローチしていくなら、『愛せない』というハードルを飛び越えることができます。 

『悪印象』を形作るのに10秒もかからないとすれば、いったん「愛する」と決めて相手に接していくなら、同じく短時間で相手に対する全く新しい見方を体験することができるのです。 

要するに「気分」ではなく「決断」の問題なのです。 

そして素晴らしいことに、「どうしても好きになれないと感じていた相手」を愛することができる術を身に付けた人は、「神がいつも共におられる」ことを実感しながら生きる者とされ、恐れから解放され、あらゆる環境の中で『愛による影響力』を流していくことができるようになるです。

(出典:「聖書のいい話」


この「聖書のいい話」は、なるほどと理解できるのですが、この動画の内容と、何かシックリしないので、もう少し調べて見ると、『神との対話』の中の一節に次のような記述がありました。(P207~P209) 

ときには、誰かを愛し、助ける最善の方法は、相手を放っておくとか、自分のことは自分でする力をつけさせることという場合がある。 

最大の援助は、相手が自分の足で立てるようにすること、相手にほんとうの自分を思い出させることだというのを忘れないように。 

不運な人たちに何をしてやれるか。自分自身を思い出させることだ。

自分自身を思い出させるということは、新しい精神で自分をみるということでもある。 

それに、あなた自身も新しい精神で彼らを見なければならない。

あなたが不運な人だという目で見れば、当人もそう思うだろう。

イエスが持っていた最大の資質は、万人のほんとうの姿を見ていたことだった。彼は見かけにはごまかされず、たとえ本人が自分はこういう人間だと思っていても、それを信じなかった。 


イエスはつねにより高い考えを持っていて、人にもそうせよと勧めていた。

それでいて、彼は人の選択を尊重した。より高い考えを受け入れろとは言わず、ひとつの提案として示しただけだった。 

また、イエスは憐れみをもち ~ 人が自分は援助が必要なのだと思っていれば、その間違った考えを否定しようとはせず、当人なりの現実を愛するがままにして~ 愛情を込めて、人が自分の選択肢を生きる手伝いをしてやった。 

人によっては、自分ではない自分を生きるのがほんとうの自分への近道だと、イエスは知っていた。 

イエスは、その道は不完全だと言わず、非難もしなかった。それもまた「完璧な」道であると言い、そうしたい人を助けた。 

イエスが考える完璧な愛とは、どんな助けが得られるかを教えてやった上で、すべての人に求められる通りの援助を与えることだった。 

イエスは助けを求められれば決して拒絶しなかったし、まして「自業自得だ」などとは言わなかった。 

イエスは、自分が望むやり方ではなく、相手が求めるやり方で助ければ、それぞれにふさわしい段階で力を与えられると知っていた。

以上の記述を読んで少し納得できました。


中古価格
¥100から
(2014/4/6 14:53時点)




PAGE
TOP