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2015年9月20日日曜日

温かい人生 その12 人には「取り柄」があるのか?




温かい人生 その12 
人には「取り柄」があるのか?


先回、子供を教育するときに、数学から音楽までまんべんなくできるようにさせず、数学の好きな子供は数学、バレーボールの好きな子はバレーという教育にした方が相互に比較をすることもなく、子供は好きなことを勉強できるので良いという私の考えを書きました。

それとは矛盾するのですが、良く、「人間はなにかの取り柄があるから、頑張れ」と言われることがありますが、はたして人間には取り柄があるのでしょうか?

一体全体、「取り柄」というのはどういうことを言っているのでしょうか? 普通は「人より優れている」というようなことのようです。たとえば、「彼は勉強は苦手だが、運動は得意だ。特に短距離は彼の取り柄だ」というと、勉強は「人よりおとっている」が、運動は「人より優れている」ということを暗に意味しています。

しかし、「人より優れる」ということが良いことなのでしょうか? このようなことを耳にすると私は「人は他人と比較することによって価値が生まれるのか?」と疑問になります。 

たとえば女性の方で子供を産み、一所懸命育てることができれば、それでとても立派な人生で、下手にスポーツ万能で東大を出て人の上に立ち、自分だけは豊かな生活をしている人に比べれば、その女性の人生はとても素晴らしく立派であることは間違いありません。

人間も他の生物も同じですが、毎日、楽しく生活ができればそれが最高で、なにもその人が誰かと比較して優れているかどうかなど全く関係もありません。

一度、フィンランドの大使館との関係があり、その時にフィンランドの人が「フィンランドの大学では合格や不合格、成績順などはありません。卒業したら森に入り他人との関係があまりありませんから、比較すること自体が無意味なのです」と言われたことが忘れられません。

そして、「人と比較しないと人間は頑張らないと思うかも知れませんが、オリンピックの選手、ノーベル賞、作家などを比較しても人口比で日本とフィンランドと同じぐらいか、フィンランドの方が多いぐらいです。人間は人と比較しなくても才能があれば開花するし、才能が無くても同じなのです」と言われました。

「取り柄」というのは「楽しく毎日を生きることができるか」ぐらいはありますが、その他の取り柄などはないし、「人より優れている」というのはそれ自体が欠点ではないかと私は思うのです。

でも、多くの若者が小学校から高等学校にかけて「取り柄はなに?」、「あなたの長所は?」と聞かれ続けて、「自分には取り柄がない」とションボリしている人を見かけます。そんな時、「取り柄なんか無いに決まっているじゃないか」と言うと、それだけで顔が輝いてくる学生も実際にはいます。

私は最近、テニスを始めました。本当は走るとか歩くということでも運動ができるのですが、私は男性でもあるので闘争心があり、テニスをうまくなりたいとか、勝負に勝ちたいという無意味な衝動があり、それを利用して体を鍛えたり、楽しみにしたりしています。

テニスをするということは私の人生を豊かにする「道具」であり、決して「目的」ではありません。まして人に勝つなどはつまらないことなのですが、私の心に闘争心がある限り、それを利用することはできます。でも、「利用」しているだけで、その結果が私の人生に影響があるわけでもないのです。それは私がテニスのプロであってもそうで、テニスをすることですでに目的は達成されていて、勝つとか負けるというのはおまけのようなものです。

「他人と比較しなければならない」という強固な日本人の信念は小さい国にひしめき合って住むようになった明治以来のことで、わずか170年ほど前までは日本にも特殊な人以外はなかったことだったのです。

(平成27年9月20日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年9月8日火曜日

温かい人生 その6 私たちの人生を幸福にするために



温かい人生 その6 
私たちの人生を幸福にするために


このシリーズの最初にすこし触れたのですが、日本は所得、長寿、医療、安全、水、気候などどれをとってもほぼ世界一と言えます。そんな環境のもとで一生を送っているのに日本人には幸福感はありません。それどころか世界でもっとも「満足できない毎日」を送っているという驚くべき事実があります。

その理由は「幻想」で、その幻想の多くが「マスコミ、専門家、進歩的知識人、政府、官僚、一部の運動家」などが作り出しています。人間は大脳支配動物なので、頭が洗脳されると事実さえも打ち消されてしまうのです。ここまで「正しい」、「健康・・・日光浴の問題」、「私たちの歴史観」、「男女の問題」などに触れてきました。まだ「環境の脅し」や「教育、出世など」がありますが、かなりの反論があります。

反論すること自体が自分で考えるということですから、人生を幸福にしますが、ややマスコミの言っている通りに信じているという方が多いのでちょっと感想を書きました。

(平成27年9月8日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ




2015年8月27日木曜日

温かい人生 その3 自分が正しいと思っている



温かい人生 その3
 自分が正しいと思っている


かつての日本人が満足した人生、豊かな生活を送っていたのに対して、現在の日本人は物質的には飛躍的に「幸福になれる環境」にいるのに世界でもっとも「不幸だ」と思っているという驚くべき現状を先回に示しました。

この錯覚が生じたのには原因があるのは当然です。それを一つ一つ整理していくことで、この素晴らしい環境の中で、安心して満足した生活をすることができるようにしなければ何のために日本人として生まれてきたかも分からなくなります。

原因の第一に「自分が正しいと思う」という現代の日本人のクセを示します。

学生がケンカしているのを見ると、一方の学生は「俺は正しい。おまえは間違っている」と叫んでいて、相手の学生は「俺の方が正しい。おまえが間違っている」と言っています。

そこで、一方の学生に「なんで君が正しいことがわかるの?」と聞くと、聞かれたことが分からずにポカンとしている。そこで「だって、自分が正しいって主張しているのだから、なぜ正しいか理由を言わないと」と言うと、しばらく考えていて「僕が正しいと思います」と言う。

私が「君が正しいと思っているだけなら、相手だって自分が正しいと思っているはずだよ。だから理由の説明になっていない」というと、学生は困ってしまいます。つまり、彼は「自分の考えが正しい」と激高しているのに、「正しい根拠」を示すことができないのです。

「自分が正しいと考えていることが正しい」ということになると、人によって考えが違いますから日本には人口分だけ、つまり1億2000万ヶの「正しさ」があることになります。

そこでダメを押すために「たとえばお釈迦様に聞いてみるとかした?」と聞くと、さらに学生は困ります。お釈迦様はすでに2600年ほど前にお亡くなりになっているから「議論していることが正しいかどうか」を聞く人がいない・・・だから自分が正しいと判断すると、それが正しいと錯覚することになるのです。

この話で分かるように「正しい」というのは人によって違いますが、異民族が混合して生活をしている大陸では「人によって正しいことは違う」ということを認めていますので、主語や目的語がはっきりして言う言語を使い、価値の多様性を認めるという文化ができました。

これに対して日本は1万年前からほんの最近(150年前まで、つまり日本人が集団で過ごした期間の98.5%)まで「曖昧な言語、暗黙の空気、一つの価値」の中で過ごしてきたのに、開国しかつグローバリゼーションがさらに進む中で、この伝統的な文化だけはまだ残っているということです。

「人は人」であり、「違いこそが人生を豊かにする」と言う意識がはっきりできれば、まず第一にケンカがなくなり、第二に不愉快なことが少なくなり(自分の考えと違うことが行われている時に、それは相手としては正しいと思ってやっているのだなと思う)、辛い生活のかなりの部分が解消します。少なくとも「怒りっぽい」と言うことがなくなり、「他人の言うことが理解できる(同意ではない)」ようになり、楽しく毎日が過ぎていくからです。

(平成27年8月26日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ


2015年8月26日水曜日

温かい人生 その2 欲深くなった私たち




温かい人生 その2
 欲深くなった私たち


「辛くないのに辛い人生」になるのはなぜでしょうか? 今日の話題はその1です。

19世紀のはじめ、今から200年ほど前のことですが、ヨーロッパの白人は力があまって世界中に軍隊を送り、次々と有色人種の国を侵略して植民地にしていました。

しかし、日本は「東のはずれ=極東」にあってなかなかそこまでは到達しませんでした。そしていよいよ幕末に鎖国が解け、白人の人たちが日本に来てみるとビックリ仰天したのです。当時の記録をちょっと見てみます。

「彼ら(日本人)は皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もいない。これがおそらく国民の本当の幸福の姿と言うものだろう。私は、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たして日本人の幸福を増やすことになるかどうか疑わしく思う。

質素と正直があれば黄金時代を築けるとしたら、どの国よりも日本がその典型的な社会だろう。生命と財産の安全、人々の質素と満足は、現在(幕末)の日本のはっきりした姿であるように思われる」

当時の日本は、安全な社会で生命と財産が保証されていて、その中で「質素」を「満足」としていたので、日本人はみんな幸福そうだったと言っているのです。

さて、表紙のほとんど見えないほどの小さな字で書かれているグラフをザッと見てもらいたいと思います。このグラフは、一日が終わる時に「今日は良い日だった」と思った人の割合を青い棒グラフで示しています。

グラフの上の方、つまり「今日は良い日だった」というのが多い国は、アフリカや南アメリカの国がほとんどで、先進国ではアメリカが13番目、イギリスが22番目です。

そして目をグラフの下の方に移してもらうと、極端に「良かった」という人が少ない国があります。つまり最下位の国、それがなんと日本なのです。この調査によれば「今日は良かった」と思う人がたった8%!!?? その一つ上が残念ながら韓国で9%。これほど不満持ちな国が隣り合わせになっているのですから、歴史認識も問題になるはずです。

つまり、日本は気候が良く、山紫水明、四季折々の自然に囲まれて命の危険を感じることもありません。その上、治安は素晴らしく(世界で10万人あたりの殺人件数が0.6人と世界最低)、女性でも夜一人で歩ける珍しい社会です。それに、所得、寿命など生命財産に関係するものも世界のトップですから、素晴らしいのです。

そしてかつての日本人はそれで満足して「不満なし」だったのですが、今の日本人は不満だらけということです。江戸時代と比較しますと、現在の日本は、所得、生活レベル、健康、寿命などあらゆる点で「幸福に生きることができる環境」にいます。それでも世界で最も不満の多い民族ということになるのです。

つまり、日本人の不満は「事実」ではなく「作られたもの」、「幻想」であることが分かります。

(平成27年8月23日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ



2015年8月24日月曜日

温かい人生 その1 人生はそんなに辛いことはありません




温かい人生 その1 
 人生はそんなに辛いことはありません


人生は辛いことが多いと言われますが、実は人生はそんなに辛くないものです。でも、「辛くないのに辛い」のはなぜでしょうか? 二つの話を紹介することから始めたいと思います。

「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。

……漁師のむすめ達が臑(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。

子供らは泡立つ白波に立ち向かって戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。

暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」

この文章を見て私は「ああ、幸福そうだな」と思ったのですが、女性の友人は「こんな役割分担の話は聞きたくないっ!」とイヤな顔をしていました。まあ、江戸時代に話だからと言って納得してもらいましたが、この女性が言ったことに中に「辛くないけれど辛い」という現代の日本人のこころがあるようです。

・・・・・・

イエス・キリストという人はキリスト教の人は神様と信じていますが、私は神様か人間か分かりませんが、もし人間としてもこれまでこの世に生まれた人間の中でもっとも偉かった人だと思います。聖書を読むと「こんなに素晴らしいことに良く気がついたものだ」と思いますが、それこそが神様なのかも知れません。

イエスは「野バラは楽しく野に咲き、ヒバリは大空でさえずっている。あなたは何を悩んでいるのだ」という意味のことを言われています。私たちは神様(自然)から命を授かり、それがたまたま人間であったということで人生を送っています。

自分が生まれる時に、人間として生まれるか、イヌとかブタにとしてかは自分が決められることではありません。神様か自然が決めてくれたことです。もしブタに生まれていたら一年も経たないうちに殺されて肉になっているでしょう。

人間で早く殺されてなにかの生物の餌になるのに耐えられる人はいるでしょうか?そう考えると私は人間よりブタの方が偉いのではないかと思うことすらあります。

そして、さらに偶然に多くの人は戦争の終わったあとの日本に生まれ、平和な社会、経済発展する時代に生きてきました。平均寿命は43歳から80歳を超えるまでになり、所得も世界でトップクラスです。

まさに、安全でお金持ち、健康で寿命は長いという国に偶然に生を得たのですから不満はないはずなのに、なぜか幸福感がない人が多いのです。なぜでしょうか?それを少しずつ考えていきたいと思っています。

(平成27年8月22日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ




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