温かい人生 その3
自分が正しいと思っている
かつての日本人が満足した人生、豊かな生活を送っていたのに対して、現在の日本人は物質的には飛躍的に「幸福になれる環境」にいるのに世界でもっとも「不幸だ」と思っているという驚くべき現状を先回に示しました。
この錯覚が生じたのには原因があるのは当然です。それを一つ一つ整理していくことで、この素晴らしい環境の中で、安心して満足した生活をすることができるようにしなければ何のために日本人として生まれてきたかも分からなくなります。
原因の第一に「自分が正しいと思う」という現代の日本人のクセを示します。
学生がケンカしているのを見ると、一方の学生は「俺は正しい。おまえは間違っている」と叫んでいて、相手の学生は「俺の方が正しい。おまえが間違っている」と言っています。
そこで、一方の学生に「なんで君が正しいことがわかるの?」と聞くと、聞かれたことが分からずにポカンとしている。そこで「だって、自分が正しいって主張しているのだから、なぜ正しいか理由を言わないと」と言うと、しばらく考えていて「僕が正しいと思います」と言う。
私が「君が正しいと思っているだけなら、相手だって自分が正しいと思っているはずだよ。だから理由の説明になっていない」というと、学生は困ってしまいます。つまり、彼は「自分の考えが正しい」と激高しているのに、「正しい根拠」を示すことができないのです。
「自分が正しいと考えていることが正しい」ということになると、人によって考えが違いますから日本には人口分だけ、つまり1億2000万ヶの「正しさ」があることになります。
そこでダメを押すために「たとえばお釈迦様に聞いてみるとかした?」と聞くと、さらに学生は困ります。お釈迦様はすでに2600年ほど前にお亡くなりになっているから「議論していることが正しいかどうか」を聞く人がいない・・・だから自分が正しいと判断すると、それが正しいと錯覚することになるのです。
この話で分かるように「正しい」というのは人によって違いますが、異民族が混合して生活をしている大陸では「人によって正しいことは違う」ということを認めていますので、主語や目的語がはっきりして言う言語を使い、価値の多様性を認めるという文化ができました。
これに対して日本は1万年前からほんの最近(150年前まで、つまり日本人が集団で過ごした期間の98.5%)まで「曖昧な言語、暗黙の空気、一つの価値」の中で過ごしてきたのに、開国しかつグローバリゼーションがさらに進む中で、この伝統的な文化だけはまだ残っているということです。
「人は人」であり、「違いこそが人生を豊かにする」と言う意識がはっきりできれば、まず第一にケンカがなくなり、第二に不愉快なことが少なくなり(自分の考えと違うことが行われている時に、それは相手としては正しいと思ってやっているのだなと思う)、辛い生活のかなりの部分が解消します。少なくとも「怒りっぽい」と言うことがなくなり、「他人の言うことが理解できる(同意ではない)」ようになり、楽しく毎日が過ぎていくからです。
(平成27年8月26日)
(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ)