観念と概念
概念は物自体に関したものであり,定義によって与えられます。観念は対象物に対して心の働きが加わったもの,つまり認識されたものです。したがって,概念は外的・共通的なものであり,観念は内的・個人的なものです。概念は物自体に関したもので,心の働きとは無関係ですから,例えば「数とは……である」というように,その概念の定義が与えられたからといって,その意味内容がわかるとは限りません。
観念は認識ですから,程度の違いがあります。物の観念を育てることは,物についての認識を深めることであり,物に対するイメージを豊富にすることです。
例えば,6という数を見た場合,ブロックが6個ある,または鉛筆が6本あるといった具体的な存在が頭に浮かぶこともあるでしょうし,トランプの6のカードやサイコロの6の目のような象徴的な図を思い描くこともあります。
また,計算に関連して,5+1と見たり,3×2と見たりすることも考えられますし,順序的に5の次の整数と考えることもあります。これが6のイメージです。
これは,その数が出てきたときの様子に左右されますし,人それぞれによっても違います。こうした数に対する豊富なイメージ,つまり数の観念があれば,場合場合に応じて適切な姿を思い浮かべることができ,数を生かしていくことができます。
また,量は単位と数値で表されて初めて概念となります。しかし,実際の量は経験的なものであって,その経験の過程では初めから数値があるわけではなく,漠然とした大きさの感覚,つまり量の観念があって,それが概念化され客観化されて数値表現に至るのです。
このように,算数では,概念の理解ということよりも,観念の育成ということが,目標となるのです。(出典:啓林館、算数用語集、小学1年の算数指導ポイント)
小林秀雄 (批評家)
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日[1] - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。
近代日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。アルチュール・ランボーなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に大きな影響を受ける。
本居宣長の著作など近代以前の日本文学にも深い造詣と鑑識眼を持っていた。(出典:ウィキペディア)