2016年6月19日日曜日
永遠の嘘をついてくれ 吉田拓郎70歳 中島みゆき64歳 つま恋2006年9月23日土曜日秋分の日
この曲は、中島みゆきが吉田拓郎に対して贈った「強烈なメッセージ」であり、激烈な「ラブレター」だとも言われています。
初期の吉田拓郎の歌は「メッセージソング」と言われるものが多く、そのメッセージで多くの若者に影響を与え意識を変えました。
それらのメッセージに強烈に影響された一人の帯広の高校生(当時)が、中島みゆきなのです。
その後の吉田拓郎はマスコミなどで発信したメッセージの意味を尋ねられたら、「ああ、あれは全部ウソだよ!」などと平然と言ったりしています。
正確に理解するには、【みゆきさんと拓郎の関係】【曲が誕生したエピソード】【拓郎世代のジレンマ】を理解するとよいと思います。
【中島みゆきと吉田拓郎の関係】
中島みゆきにとって70年代の吉田拓郎は「カリスマ」であり、学生時代はミニスカートをはいて拓郎の楽屋に押しかけていた・・との話も。
吉田拓郎を追いかけてデビューしたと言うのは有名な話で、中島みゆきはデビュー当時には「女拓郎」と呼ばれていた。
【誕生エピソード】
時代の先頭を突っ走ってきた(?)拓郎も50才手前くらいで、全く曲が書けなくなり、一説によると引退を考えていたと言われています。
そこで自分の最後の曲として中島みゆきに曲の提供を依頼した、と言われています。
当然、中島みゆきからは散々と説教をされて「最後の曲じゃないのなら書きます」との了承を受けて提供されたのがこの「永遠の嘘をついてくれ」なのです。
中島みゆきの凄まじい表現力を全力で注いだ曲だと思います。
字余りの歌詞、言葉使いとシャッフルの曲調は「これでもか!」
と言わんばかりに70年代初頭の吉田拓郎の曲作りの手法を取っていますね。
【歌詞に出て来る地名の象徴について】
「拓郎世代の時代背景」を鑑みてみると、「NYC」「成田」「上海」と3つの地名を出す事で全ての地名に象徴を持たせています。
【ニューヨーク】
資本主義の中心地であり、激しい国内闘争の末に70年安保を締結した、「日本が選択してしまった」アメリカ的商業主義の象徴です。
また、中島みゆきがデビューした時には既に吉田拓郎は商業的に大成功していたので「ニューヨーク=すでに商業的に大成功した拓郎≒拓郎のいる東京」の象徴ではないかとも思います。
【成田】
拓郎世代の【革命家】と言われた人たちが、最後に国内で大きな行動を起こした場所ですね(成田闘争)。
地名を続けて出す事で、現在ではニューヨークに行くには成田から飛行機で行く。。
という時代的な皮肉も含んでいます。
【上海】
共産革命を成し遂げた中国最大の都市で、革命の象徴ですね。
共産革命を夢見た若者たちの一部(過激派)は最終的に日本に居られなくなり、それでも革命を夢見て中国に渡ったと言われています。
2番の歌詞は「理想を追い続けたかつての若者」が異国の大都会の片隅で、死期を悟っているにもかかわらず代筆で精一杯のやせ我慢をしている・・」情景だと思います。
NYと上海とは拓郎世代の中で「アメリカに乗って成功した者」と、「夢破れて異国で散って逝った者」の両極性を象徴しているものと思います。
「理想を追うグループ」に押し上げられてデビューし、その後成功した拓郎にとっては辛辣な比喩であろうと思われます。
【NYは粉雪の中らしい・・・決して行けない場所でもないだろうNYくらい・・】
ニューヨークに行くには友人から金を借りまくれば簡単に行ける・・、逆に言えば「借金しなければ行けない」と言っていますので、中島みゆきが「借金しなければ行けなかった」70年代を示し、歌詞の最初の一節で「歌の時代背景」と「時代の変遷」を表現していると思います。
【歌詞全体のメッセージとしては】
「メッセージはウソ」という拓郎の発言を受けて、【ウソなら嘘で構わない、それならば永遠にウソをつき続けてくれ、永遠に吉田拓郎は吉田拓郎であってくれ、決して弱音を吐かないで欲しい】という、中島みゆきのメッセージだと思います。
(出典:Youtube Buddhist monk killed in Bangladesh )
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