2015年11月10日火曜日

日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう。 元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル



アーセン・ベンゲル
アーセン・ベンゲル OBE(Arsène Wenger OBE, 1949年10月22日 - )は、ドイツ(アルザス)系フランス人のサッカー指導者。

イングランド・プレミアリーグのアーセナルFC監督。

2002年、フランス政府よりレジオン・ド=ヌール勲章を受勲。
2003年、イギリスサッカーに対する功績により、大英帝国勲章を受勲。フランス語、アルザス語、ドイツ語、英語に堪能で、イタリア語、スペイン語、日本語もある程度話せる。
ストラスブール大学卒業(工学士、経済学修士)。

「アーセン」はアルザス語で、フランス語の「アルセーヌ」にあたる。
(出典:ウィキペディア)



世界が賞賛 日本人の観戦マナーと精神 
【全世界でこんな国民は初めてだ】
ペドロビッチ監督衝撃 






2015年10月28日水曜日

第7回 ミセス日本グランプリ

第8回の動画は削除されましたので、第7回の動画を掲載します。
みなさん輝いていますね。



2015年10月23日金曜日

大いなる明日へ ~復活!吉田拓郎~

ビッグバンドで聴くと、あらためて良いですね。1時間半の動画です。

 大いなる明日へ  ~復活!吉田拓郎~

2009.3.21 NHK BS2
HAVE A NICE DAY 祭りのあと ウィンブルドンの夢 KAHALA  
親切 伽草子 夜霧よ今夜もありがとう 
街角のタンゴ 真夜中のタクシー 唇をかみしめて 
ガンバラナイけどいいでしょう 歩こうね


本も出ていたのですね。

豊かなる日々 吉田拓郎 奇跡の復活 
(角川文庫) 文庫 – 2009/7/25
田家 秀樹  (著)
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2015年10月22日木曜日

小林秀雄講演 (現代思想について) 1/4

貴重な講演の動画(音声)ですね。

小林秀雄講演 (現代思想について) 2/4
小林秀雄講演 (現代思想について) 3/4
小林秀雄講演 (現代思想について) 4/4


小林 秀雄(批評家)
小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。

近代日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。

アルチュール・ランボーなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエフスキー、幸田露伴・泉鏡花・志賀直哉らの作品、ベルクソンやアランの哲学思想に大きな影響を受ける。

本居宣長の著作など近代以前の日本文学にも深い造詣と鑑識眼を持っていた。

妹の高見沢潤子は、作家・随筆家、夫は『のらくろ』で著名な漫画家・田河水泡。

長女の明子は、白洲次郎・正子夫妻の次男・兼正の妻。英文学者の西村孝次、西洋史学者の西村貞二兄弟は従弟にあたる。

文藝評論家の平野謙は又従弟。正確には、小林秀雄の母方の祖母の城谷やす(旧姓千葉)と平野謙の母方の祖父の千葉實が兄妹の関係にある。(出典:ウィキペディア


現代思想について
―講義・質疑応答 
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物質と記憶 
(岩波文庫) 文庫 – 2015/9/17
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物質と記憶 
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物質と記憶 ― 身体と精神の関係についての試論
(新訳ベルクソン全集(第2巻)) 単行本 – 2011/7/23
アンリ ベルクソン  (著), 竹内 信夫 (翻訳)
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物質と記憶 
(岩波文庫) 文庫 – 1936/12/15
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ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く 
単行本 – 2007/6/28
リサ・ランドール  (著), 向山 信治 (翻訳), 塩原 通緒 (翻訳)
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2015年10月4日日曜日

【なまけ者のさとり方】 苦しい時に読む本 (一部朗読)



なまけ者のさとり方
PHP文庫 文庫 – 2004/6/1
タデウス・ゴラス  (著),
山川 紘矢 (翻訳), 山川 亜希子 (翻訳)
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2015年10月3日土曜日

健康を知る(13) コレステロールの制限値は「死亡させるため」えっï





健康を知る(13) 
コレステロールの制限値は「死亡させるため」えっï


減塩食や植物油など、この30年間ぐらいテレビで「健康に良い」と言われてきた物が実は健康に関係がないか、あるいは毒物と言っても良いほど問題があることが次々と指摘されています。

その中でも特に「メタボ騒動=厚労省が「メタボ」を突然、発表した時」の規制値ほど害となるものはありませんでした。少し厳しく言えば「犯罪」で、厚労省が発表した規制値を守って亡くなったことを証明できれば、故意の殺人罪も適応できるのではないかと思うほどです。

表紙に示しましたが、厚労省が示した総コレステロールの制限値は、140から199でした。しかし、その横(右側)に示したグラフは、コレステロールが200以下では死亡確率が高くなること、特に180以下では死亡確率(ガンや血管障害が主)が2倍以上になっています。

これは臨床のデータですから、現実にコレステロールを厚労省の制限を守ったことが原因となってガンで死亡した人が相当数いることを示しています。その方やご家族の方の気持ちになってもらいたいと思うのです。「お役所の言うことが正しい」と信じてコレステロールを下げようとし、その結果、ガンで亡くなった訳ですから、これを殺人と言わなくてなんといったら良いのでしょうか?

また厚労省の尻馬にのってテレビで放映したNHKや民放、そして新聞で「健康特集・・・コレステロールを減らそう」などと書いた記者はその理由を釈明しなければならないでしょう。マスコミは「政府が言ったから」ではダメで、むしろ政府の言うことに疑いを持って国民側で報道するために存在するのです。

このようになった原因は、このブログでも指摘しているように、第一に「縦割り医療」・・この場合は、コレステロールを200以下にすれば心臓疾患が減るので、心臓関係の医師が「ガンになっても俺の専門ではない」ということで200以下にしたのです。

また第二には、「医師は人の健康を守ることはできない」と言うことを国民が知らなかったということです。医師は「病人を治療する」ことにはたけていますが、病院には健康な人は行かないので、健康を維持すると言うことについてはほとんど経験がないということです。

でも、これほど酷いことが厚労省は学会の名前で行われ、NHKがそれを拡散していたということはよくよく考えなければならないことでしょう。

(平成27年9月22日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ


2015年9月23日水曜日

ウィリー・ネルソン & ウィントン・マルサリス Willie Nelson & Wynton Marsalis




Willie Nelson & Wynton Marsalis

ウィリー・ネルソン
ウィリー・ネルソン(Willie Nelson、Willie Hugh Nelson、1933年4月30日-)は アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト、俳優。カントリー界の大御所。 テキサス州出身。 1975年のシングル「雨の別離」(原題:Blue Eyes Crying in the Rain)は、 ビルボード誌のカントリー・チャートで1位を獲得し、グラミー賞のベスト・カントリー・ボーカル (男性)部門を受賞。 ウィリー・ネルソンといえばポップなカントリーの象徴と見做されることも 多いが、フォークやロックのミュージシャンとの交流に見られるようにクロスオーバーな活動を 続けたことにより、多くのミュージシャンからの尊敬を集めている。 (出典:ウィキペディア)

ウィントン・マルサリス
ウィントン・マルサリス(Wynton Learson Marsalis、1961年10月18日 - )はアメリカ合衆国のトランペット奏者、作曲家。 マルサリスは、現代において最も著名なジャズ・ミュージシャンの一人であり、クラシックの奏者としてもよく知られている。ジャズ・アット・リンカーン・センターの芸術監督を務めている。マルサリスは、ジャズ・パフォーマンスと作曲の技術、洗練されたスタイル、ジャズとジャズの歴史に関する知識、またクラシック音楽の演奏家であることによって名声を得ている。2006年現在で、16のクラシックと、30以上のジャズのレコードを出しており、クラシックとジャズの両部門で合わせて9つのグラミー賞を獲得している。(出典:ウィキペディア)



2015年9月20日日曜日

温かい人生 その12 人には「取り柄」があるのか?




温かい人生 その12 
人には「取り柄」があるのか?


先回、子供を教育するときに、数学から音楽までまんべんなくできるようにさせず、数学の好きな子供は数学、バレーボールの好きな子はバレーという教育にした方が相互に比較をすることもなく、子供は好きなことを勉強できるので良いという私の考えを書きました。

それとは矛盾するのですが、良く、「人間はなにかの取り柄があるから、頑張れ」と言われることがありますが、はたして人間には取り柄があるのでしょうか?

一体全体、「取り柄」というのはどういうことを言っているのでしょうか? 普通は「人より優れている」というようなことのようです。たとえば、「彼は勉強は苦手だが、運動は得意だ。特に短距離は彼の取り柄だ」というと、勉強は「人よりおとっている」が、運動は「人より優れている」ということを暗に意味しています。

しかし、「人より優れる」ということが良いことなのでしょうか? このようなことを耳にすると私は「人は他人と比較することによって価値が生まれるのか?」と疑問になります。 

たとえば女性の方で子供を産み、一所懸命育てることができれば、それでとても立派な人生で、下手にスポーツ万能で東大を出て人の上に立ち、自分だけは豊かな生活をしている人に比べれば、その女性の人生はとても素晴らしく立派であることは間違いありません。

人間も他の生物も同じですが、毎日、楽しく生活ができればそれが最高で、なにもその人が誰かと比較して優れているかどうかなど全く関係もありません。

一度、フィンランドの大使館との関係があり、その時にフィンランドの人が「フィンランドの大学では合格や不合格、成績順などはありません。卒業したら森に入り他人との関係があまりありませんから、比較すること自体が無意味なのです」と言われたことが忘れられません。

そして、「人と比較しないと人間は頑張らないと思うかも知れませんが、オリンピックの選手、ノーベル賞、作家などを比較しても人口比で日本とフィンランドと同じぐらいか、フィンランドの方が多いぐらいです。人間は人と比較しなくても才能があれば開花するし、才能が無くても同じなのです」と言われました。

「取り柄」というのは「楽しく毎日を生きることができるか」ぐらいはありますが、その他の取り柄などはないし、「人より優れている」というのはそれ自体が欠点ではないかと私は思うのです。

でも、多くの若者が小学校から高等学校にかけて「取り柄はなに?」、「あなたの長所は?」と聞かれ続けて、「自分には取り柄がない」とションボリしている人を見かけます。そんな時、「取り柄なんか無いに決まっているじゃないか」と言うと、それだけで顔が輝いてくる学生も実際にはいます。

私は最近、テニスを始めました。本当は走るとか歩くということでも運動ができるのですが、私は男性でもあるので闘争心があり、テニスをうまくなりたいとか、勝負に勝ちたいという無意味な衝動があり、それを利用して体を鍛えたり、楽しみにしたりしています。

テニスをするということは私の人生を豊かにする「道具」であり、決して「目的」ではありません。まして人に勝つなどはつまらないことなのですが、私の心に闘争心がある限り、それを利用することはできます。でも、「利用」しているだけで、その結果が私の人生に影響があるわけでもないのです。それは私がテニスのプロであってもそうで、テニスをすることですでに目的は達成されていて、勝つとか負けるというのはおまけのようなものです。

「他人と比較しなければならない」という強固な日本人の信念は小さい国にひしめき合って住むようになった明治以来のことで、わずか170年ほど前までは日本にも特殊な人以外はなかったことだったのです。

(平成27年9月20日)

(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ




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