2015年2月21日土曜日
他を愛する心 その2 愛とダイエット
(最初のところは温暖化の話に似ていますが、このシリーズは「愛」というものを調べる目的です。今回は若干クールダウンしていますが。)
人間は不完全な生物で、たとえば「イネ」と比較するとイネは自分で空気中からCO2(二酸化炭素)を吸って、自分の体を作る。そしてついでに「人のために米粒でも作ってやるか」ということで米粒を作る。
イネは偉い! 他の生物の命をいただくこともなく、他の生物の実や葉を横取りすることなく、一から十まですべて空気中の二酸化炭素、地下の水、そして太陽の光だけを使って、自分の体を作り、毎日生活するエネルギーを生産し、ついでに人間が可愛そうなので米粒を作って人間を養っている。
イネがそんなことができるのは、二酸化炭素を分解して炭素を取り出すことが出来るからで、この炭素で自分の体をつくり、エネルギーを得、さらには余った炭素を袋に詰めて米粒を生産する。
人間はなにもできない。二酸化炭素を分解して炭素を作ることもできず、暖房用のエネルギーも自分で作れないし、必須アミノ酸やビタミンなどもかつては自分の体の中で作っていたのに、もうその体内工場も閉鎖されてしまっている。
そこで、炭素は米粒から(炭化水素)、必須アミノ酸は動物を殺してその肉から、ビタミンは果物を採って食べる・・・という具合に、何から何まで他の生物に頼っている。イネが炭素を、豚がアミノ酸を、ミカンがビタミンを人間にくれるのに、人間はまるで主人のように威張っていて、平気でその命を奪う。
口では「命が大切」と言っているが、その実、上から目線で生物を痛めつけている。
私は「ダイエット」とか「ヘルシーな食事」、さらには「低カロリー食」という言葉を聞いてゾッとする。「人間って、こんなに恩を感じないものか!」と思うからだ。
私たち人間は欠陥生物で自分では何もできず、命を保つためにほとんどのものを「他の命」を頂いている。
「人間は万物の長」と誰が言ったのだろうか? 自分が誰の世話になっているのか何も分かっていないように思える。そして最近はそれがさらに極端になってきた。
「他の命をもらいすぎて太り気味だから、命をもらう数は同じにして、カロリーの少ないものを食べることが良いことだ」という人が多くなった。ダイエット指導とか、低カロリー食を勧めるのを聞くと、私は時として嫌になってしまう。
「太りすぎる」ということは「必要以上に命を頂いている」ということだから、深く反省して「命を頂く数を減らそう」と思うのがまともな人間というものだが、「食べる量を減らしたくない」という自分勝手な心があるので、「低カロリー食」が「ヘルシー」ということになる。自分のことだけだ。
ところで、「太ったシマウマはいない」というのは人間が太る原因が人間の「曲がった心」にあることはほぼわかっている。つまり、もともと「太る」ということ自体が「自分勝手な人間の大脳」が指令することなので、「太った人が、ヘルシーな食事を求める」というのは理にかなっているように思うのも脳が曲がっているからだ。
こういう人が、わがままな人、他がわからない人は何から何までそうなのだろう。そして、その人の生活習慣病になって寿命が短いというのはまさに天の配剤のように思える。
実は話があらぬ方向に行ったのが、私がここで整理したかったのは「ミジンコからマウスまで、そして人間も」腹八分目が飽食より寿命が1.5倍であるという事実は同じ種族だけではなく、生物全体で「他の命を少なくとるものほど長寿である」という原理原則があると思われる。
種族の間では「集団として意味のある個体が残る」という原理原則、生物全体では「生物全体の繁栄に寄与することが元気なもと」というのがあるようだ。それは遺伝子の構造からいってある意味で当然とも言える。そうしないと「なぜ、腹八分目」が「飽食」より長生きかということを合理的に説明することができない。
自分のことだけ考えてヘルシー食事をたらふく食べて、幸福になろうと言ってそれは無理だろう。
(平成27年2月13日)
(出典:武田邦彦(中部大学)ブログ)